モータースライブ100回記念の寄稿文
山脇セブンティーン
この度は、2022年の12月をもって、モータースライブが100回目(100ヵ月目)を迎えるということで、
おめでとうございます。
100ヵ月ということは、言い換えれば8年と4か月です。
私は、モータースライブに、はじめの頃はお手伝いのスタッフとして参加し、
7年ほど前から、演者として参加させていただいております。
私が出演しはじめた頃は、出演者が今よりも少なく、月一回の公演でした。
それが、出演者の増加とともに月2回公演になり、
その後もあれよあれよという間に公演回数が増えていき、
現在、直近の2022年11月は、ひと月で11回の「〇〇モータースライブ」を開催するに至りました。
「開催するに至りました」と書きましたが、私は一切何もしていません。
運営されている方々が、努力を継続された結果です。
私が経験した7年間で(7年という歳月を考えれば当たり前ですが)、
当初出演していた芸人の多くは、解散や引退、諸々の事情により、
モータースライブを離れていき、黎明期を知るメンバーはとても少なくなりました。
もちろん、スターになって地下ライブから卒業した、嬉しい面々も沢山いますが(本当に沢山!)、
そういう明るい話は、僕の気持ちが暗くなるので、ここでは控えます。
さて、ここまでで、
もしも、この文章を読んでいただいている方がいたなら申し訳ありませんが、
かような、知らない芸人の書いた、よく分からないライブの100回記念の寄稿文を、
一体誰が好き好んで読むのでしょうか?
自分としても、
お客様に向けて書けばいいのか?
後輩芸人に向けて書くのか?
今、読んでいるあなたは何者ですか?
と、甚だ理解が及びませんので、
いっそ開き直って、誰も興味ないであろう、
初期のモータースライブの小話をいくつか書きたいと思います。
何も得るものの無い内容ですが、戯れに読んでいただければ幸いです。
【始まりの地、新宿レフカダ】
現在のモータースライブは、
「ドーンモータース」「ミネルヴァモータース」ともに下北沢開催であり、
下北沢がホームグラウンドのイメージですが、
7年前は、専ら新宿の「LEFKADA(レフカダ)」という会場で開催していました。
ライブ名も、「レフカダモータース」でした。
2020年くらいまではこのレフカダを使っていましたが、現在は使っていないようです。
理由は分からないです。コロナ禍が転機?
そういった事情により、最近、全然レフカダの名前を聞かないので、元気に営業しているのか気になり、
新宿レフカダについてネットで調べてみたところ、
相変わらず、いかがわしいライブをわんさかやっているようで…、
相変わらず相変わらずだなって、安心しました。
ちなみに、「〇〇モータース」の「モータース」って何さ?というと、
主催者の名前が「山崎モータース」だからです。これはみんな知ってるよね!
【下北沢は敗者の町】
当初は「レフカダモータース」の、月1回公演で事足りていたモータースライブですが、
出演者が増えて、公演回数を増やさなくてはいけなくなりました。
と同時に、投票結果によるランク分けも始まりました。
その後も日に日に増加していく出演者に、レフカダだけでは月の公演回数を消化しきれなくなったある日、
ついに、
「下のランクは下北沢シアターミネルヴァへ」
という島流しの勅令が出ました。
そう、下北沢は降格したら行く町でした。
「下北沢」の「下」は、
「下位」の「下」でした。
下北沢開催のシステムが始まった当初、
「あたし、新宿だったら見に行くけど、シモキタに落ちたら見に行かないから!」
と私に向かって豪語していた、
お前は何目線だよっていう、お客様は、
その後普通にライブに来なくなりました。
まだランク落ちてなかったのに。
元気でしょうか?きっと元気でしょう。
顔も名前も思い出せないけど。
【天国と地獄】
最初期のAライブとBライブの実力差はすごかったです。
モータースライブマニアなら、
・今のSとAライブ⇒当時のA
・今のDライブ⇒当時のBライブ
と思っていただければ、想像しやすいと思います。
しかも、今のDライブの方々は、
「やる気と覚悟をもっているけど、運命の巡り合わせにより、Dライブに甘んじている」
感じなので、救いがありますが、
当時のBライブ違いました。
本当に「ただ終わっている人」がわんさか混ざっていて、
あーあって感じでした。
AライブからBライブに降格した芸人の瞳孔が開く瞬間を、私は何度も目にしました。
【芸能の神様にネタ見せ】
新宿レフカダは、すぐ近くに花園神社という、有名な芸能の神様を祀った神社があります(正しくは敷地内の芸能浅間神社)。
寄進者の名前を見れば、由緒の正しさが分かるかもしれません。
芸人は神社と公園、あるいは、ちょうどいい壁があれば、
我が物顔でネタ合わせを始めるという、迷惑な習性があるので、
当時の出演芸人もよくここで、ネタ合わせをしていました。
自分もネタの練習に使ったり、自信がない時は、出番前にここで神頼みしてました。
効果は未知数!
また、この花園神社は、「11月の酉の市で熊手を買うと仕事が増える」といういわれがあります。
一発屋からの復活を果たした、かの有吉弘行さんが、毎年ここで熊手を買っていたという逸話は、芸人界隈では有名な話です。
もう買うの辞めたみたいですけど。
私も買ったことないのですが、
ご興味ある方はぜひ、ご利益にあやかってみてはいかがでしょうか?
【思い出の自販機】
7年前の当時、よくここの自動販売機前で、出待ちのお客様につかまりました。
何を隠そう、当時の私は、ファンがワーキャーの、いけ好かない芸人でした。
ネタが面白くないのにファンが多いという、純度100のワーキャーでした。
お客さんを「ファン」って言ってる時点で、推して知るべし、でしょ?
そのため、当時は、この自販機前で、出待ちいただいたお客様へ、真心込めた丁寧な対応をしていたわけです。
そこで得られたものがあります。
「写真を撮る際は、自販機に背を向けると逆光になるので、自販機に向かい合うようにすると良い。」
という、ライフハックです。
以上のみ、です。
どんな思い出も時間が経てば懐かしくなるもので、上に載せました写真は、先日久しぶりに現地を訪れた際に撮ったものです。
この自販で飲み物を買って、しばらく様々な思い出に浸ろうと考えていたところ、
現在はかなりきつめのモスキート音が照射されるようになっていて、
しばらくいたら脳が破壊される危険を感じ、逃げました。
当時からこれがあったら、さっさと帰れたのにな。
【実際、新宿に行ってみて思ったこと】
7年前を思い出すために、当時通っていたルートで、新宿レフカダまで行ってみました。
7年前に比べて、JR新宿駅は東西連絡通路の工事終了により、
とても出口が分かりやすくて便利になりました。
当時、新宿駅の改札のチョイスを間違えて、西口に出てしまったことが1度や2度じゃありません。
ひとたび西口に出てしまうと、レフカダのある東口に行くには、とても面倒なルートを通らないといけません。
しかもネタの小道具を持った状態で。
冗談じゃなく、ライブ出るのやめようかと思うくらい面倒くさかったです。
新宿駅は確実に進歩していました。
しかし、今やモータースライブと言えば、下北沢。新宿駅は使いません。
私の場合、下北沢へは、JR渋谷駅経由で、井の頭線に乗り換えて行くのですが、
渋谷駅の工事が始まったせいで、本当に面倒くさいルートを歩かされる!
ネタで使う重くてでかい荷物を持って、乗り換えのために、毎度毎度、
無駄に長距離歩かされる。しかも階段多い!
新宿が便利になったとて、渋谷が不便になったなら、収支大幅にマイナスだよ。
さて、ここでふと己を顧みる。
この7年で、着実に進歩しているJR新宿と、改悪しているJR渋谷、
芸人・山脇セブンティーンは一体どちらに似ているのか?
断然、新宿だね。
【まとめ】
ここまでお読みいただいた方、いるか分からないけど、ありがとうございます。
ダラダラと長文、失礼しました。どれだけ長文かと言うと、3730字あります。
それだけ私の、モータースライブと歩んだ7年間への思いが溢れていると、解釈頂ければと思います。
お客様・芸人・劇場・スタッフ、このどれが欠けてもライブは成り立ちません。
皆様、どうかこれからもお元気で。
この先も、笑顔とスベりの絶えないライブが続きますように。
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