祝100th【こたけ正義感】


「ヤマザキさん」
1 出会い
「山崎さん、はじめまして。ワタナベエンターテインメントのほどよしの小竹と申します。
同期のリンダカラーたいこーの紹介でご連絡させていただきました。
シモキタモータースの出演に出演させていただきたいと思っているのですが可能であればエントリー方法をご教示いただけますでしょうか」
これは僕が芸人になって2年目の夏に
ヤマザキさんに送ったラインです。
当時僕は「ほどよし」というコンビで漫才をしていました。
当時の僕たちは事務所ライブを除けば定期的に出れるライブもなく、
同期の芸人で集まってこじんまりとライブを主催するか、
エントリー料を払ってフリーのライブに出演するかしかないという状況でした。

そんな時、同期のリンダカラーが出演し始めたという
「モータースライブ」
なるライブの存在を耳にしました。
そのライブはヤマザキモータースという芸人が主催しているバトル制のライブで、
一番下のライブであっても必ず満席になる摩訶不思議なライブ。
ただし、
主催のヤマザキさんは昔ながらの芸人さんでめちゃくちゃに厳しい。
他事務所の芸人だろうと容赦なくガンガン怒られる。
「それが苦じゃなければ出てもいいんじゃない?」
とたいこーは言っていました。
当時ライブの数を欲していた僕たちには選択の余地はなく、
僕はすぐさま冒頭のメッセージをラインでヤマザキさんに送りました。
とにかく厳しくて怖い大先輩ということに多少の緊張はあったのですが、
すぐさま既読マークが付き、
「7/16の三部であれば7月から出演可能です。無理であれば8月からお願いします」
と事務的なメールが返ってきました。
「その日程でお願いします」
と、あっさり僕たちの出演が決まりました。
ライブ当日。
入り時間少し前に会場に入ると
既にヤマザキさんの怒号が響き渡っていました。
「おい!音響今のタイミングで大丈夫なんか?!ちゃんと確認しとかな本番失敗するぞ!」
こんなに怒鳴っている大人を久しぶりに目撃しました。
怒鳴られているのは
手伝いに来ている太田プロの養成所生達。
全員がビクビクしながら必死でヤマザキさんの指示を遂行し、
異様な緊張感が漂っていました。
普段のライブであそこまで緊迫した雰囲気で準備が進むことはまずありません。
その後、
出演芸人の点呼が終わり、
ヤマザキさんが出演芸人に話をします。
「お前らええか?!
一回一回のライブを真剣にやれよ!
ある程度舞台に慣れてきたらな、適当にこなすようになんねん!
そんなやつは絶対に売れないよ!
一回一回ベストなパフォーマンスでやんねん!
それで満席のお客さんの前で大爆笑取ってみ?!
絶対自分のパフォーマンスも変わってくるから!
そうやって一個一個階段登っていくねん!」

熱い。
めちゃくちゃ熱い。
なんやこの人。
意味わからん。
自分の教え子でもない他事務所の芸人が集まる地下ライブで
なんでこんなに熱量持って怒鳴ってるんや。当時の僕には不思議で仕方ありませんでした。
2 調査
モータースライブに出るようになってちょうど1年が経った頃
「ブログに乗せるためなんでもいいから文章書いてくれない?」
とヤマザキさんから連絡がありました。
当時モータースライブのブログに芸人が好きな文章を掲載していて
その担当が僕に回ってきたのでした。
何を書こうか悩んだ末、
僕はヤマザキさんの芸人人生について徹底的に調べ、
それを掲載してもらいました。
その時書いた文章がこちら(https://mortors-owarai.amebaownd.com/posts/6606687/)
文章のノリも変なんですが、
何より異常な量の文章になってしまいました。
ヤマザキさんも
「めちゃくちゃ調べたな!怖いわ!」
とおっしゃっていました。
ざっと要約すると、
ヤマザキさんは90年代「ノンキーズ」というコンビを組んでおり、
ボキャブラ天国その他大型番組に多数出演する大注目芸人で、
当時は「ポストとんねるず」とまで評されていました。
しかし後に解散。
その後ピン芸人として活動するようになるのですが、
突如ADEM(急性散在性脳脊髄炎)が発症し、入院生活を余儀なくされます。
調べていてこちらも辛い気持ちになる出来事だったのですが、
僕はここでヤマザキさんがいかに芸人たちから愛されていたのか、
素敵な芸人に囲まれてお笑いをやってきたのかを知ることになります。
詳しくは上記の文章を読んで欲しいのですが、
ダチョウ倶楽部さん、ネプチューンさん、デンジャラスさん、インスタントジョンソンさん、有吉さん、土田さん、劇団ひとりさん。東京のお笑いを代表する方たちが
入院中のヤマザキさんを支える様子は
想像するだけで胸に迫るものがありました。
3 ヤマザキさん
ヤマザキさんについて異常な量を調べるというのは、
正直、ボケとして始めたものでした。
「いや、こんなブログでここまで詳細に調べて長文書くやつおらんねん」
というボケです。
でもヤマザキさんについて調べれば調べるほど、
過去の活躍や
周りの芸人さんたちとのエピソードがあまりに素敵で
僕の中でのボケの部分、おふざけの部分はなくなっていきました。
ヤマザキさんの熱い言葉には、
本気でお笑いに取り組み、
周りの芸人と切磋琢磨し、
実際に結果を残してきたヤマザキさん自身の経験が乗せられています。
お笑いの世界で活躍するというのはどういうことか、
それを必死に伝えてくれるヤマザキさんの言葉にはえも言われぬ説得力があります。
僕はふと不思議に思うことがあります。
毎月、毎月、毎月、毎月、
冷めることのない熱量で語るヤマザキさんを見て、
どうしてこの人は事務所も違う、
このライブでしか関わることのない若手たちに対して
これだけのエネルギーを注ぎ続けられるんだろう、
これほど大変なライブをなぜ何年も続けられるのだろう、
という不思議です。
このことについてヤマザキさんに直接伺ったことはないのですが
僕なりの仮説はあります。
シンプルな仮説です。
ヤマザキさんは東京のお笑い界の中でたくさんの芸人を見て、
芸人を支えて、支えられてを繰り返す中で(もちろんどうしようもない芸人もたくさんいたとは思いますが)
総じて芸人という人種に魅了されてしまっているのだと思います。
目の前の若手たちにもそういった芸人になってほしい、
そういった芸人に育てることがヤマザキさんの生きがいになっているのだろうと。
最初あれだけ怖かったヤマザキさんの怒鳴り声にも
今はもう慣れてしまいました。
ほんの一部ではあってもヤマザキさんの芸人人生を垣間見ることで
少しはその思いを汲み取れるようになったからだと思います。

全然見当違いな仮説で、
見当違いな思いを汲み取っている可能性もありますが
今はそれでいいかなと思っています。

みなさんも今後モータースライブに遊びに来ることがあれば
客席の一番後ろに座っているおじさんに思いを馳せてみてください。
みなさんの好きな芸人さんに
少なからず影響を与えているおじさんがそこにいます。

モータースLIVE

200組以上がしのぎを削る若手お笑いライブです! 上からレフカダ→ドーン→ミネルヴァ(C,D)とランク分けしております。

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