どーもービックシカゴと申します!
大学時代からの同級生、福澤と森山でコンビ組んでおります!
写真右が僕、福澤です!
そして
写真左がデカいピーマンです!
どうして写真左がデカいピーマンなんだろう?
と思った人のために一応説明しておきますと、実はこのデカいピーマンは昔の森山君なんです!
というのも実は森山君というのは「魂」だけの概念の存在でして、色々な肉体であったり物の中(通称「器」)に、その自分の「魂」を宿して生きているのです。
なので僕が初めて森山君に会った時はデカいピーマンの「器」に「魂」を宿していた時だったのです。
最初の写真は大学で出会って間もない頃に撮ったデカいピーマン時代の森山君との写真というわけです。
森山君は大学では常に人気者でした、「デカピー」というアダ名で呼ばれており彼はいつも友人に囲まれていました。
僕もその友人の一人だったのですが。
僕は最初、大学にデカいピーマンがいる、という興味だけで近付いたのですが、彼のことを知っていくとどんどん内面にも惹かれていったのです。
彼は凄いです。
だって普通デカいピーマンが学校にいたら、いじめられたり、仲間はずれにされてもおかしくないじゃないですか。
でも彼は持ち前の明るさと優しさ、コミュニケーション能力の高さでそんなハンデを全て跳ね除けていったのです。
本当にカッコよかったです。
僕はこういうピーマンが将来の日本を背負っていくんだな、と思っていました。
ある時までは。
そして僕たちは大学四年生になり、就職活動が本格的に始まりました。
僕は第一志望の会社ではないものの何社か内定を頂く事が出来ました。
しかし
森山君は夏が過ぎて、秋になり、冬が来てもいつまでたっても内定をもらうことが出来ませんでした。
内定はおろか面接にさえも進むことが出来ませんでした。
そう、日本にはデカいピーマンを雇ってくれる会社は無かったのです。
デカいピーマンというだけで履歴書で落とされる毎日です。
あの頃の彼を見ているのは本当に辛かったです。
心配かけまいと作った笑顔が余計に僕を心配させました。
そんなある日、僕は彼に「話ガアル」とカフェに呼びだされました。
そして彼は
「就職活動ヲシテ苦シンデイタ時にオ笑イノ動画ニ元気ヲモラッテ笑顔ニナレタ、芸人ハ凄イ、ダカラ俺ハ芸人ニナリタイト思ッタ、コンビヲ組ンデ欲シイ」
と僕にお願いしてきたのです。
正直、面を食らったのですが僕も小さい時からお笑いが好きでしたし、第一志望の会社は落ちてしまっていたので一度きりしかない人生、これは何かの運命なのかな、と思い彼とコンビを組んでもいいかな、と思いました。
しかし、僕はコンビを組んでもいいが、代わりに一つある要求をしました。
それは「デカいピーマンの「器」を捨ててほしい」ということです。
これをしてくれないとコンビを組むことは出来ないと彼に伝えました。
彼はかなり動揺した様子でした。
当然です。
彼にとって、デカいピーマンの「器」はもはや自分そのもの、デカいピーマンである自分が彼のアイデンティティとなっていたのですから。
しかしこれだけは僕は譲れませんでした。
デカいピーマンと人間のコンビ、これは確かに面白い。
しかし、出来るネタがかなり限定されてしまうのです。
その旨を森山君に伝えると、少し時間が欲しい、また明日ここで話そうと言い残し、その日の話は終わりました。
僕は、勢いに身を任せて熱くなり、彼を傷つけるような発言をしてしまった気がしてとてもやるせない気持ちになり、憂鬱な気分のまま次の日カフェに向かいました。
しかし、そこにはデカいピーマンの姿はありませんでした。
見慣れないメガネをかけた男性がいたのです。
そう、なんと彼は昨日の間に今の「器」にソウルメイド(新しい「器」に「魂」を入れる儀式のこと)をしてきたのです。
僕は一瞬驚きましたがすぐに心を決めました。
それだけの覚悟があるなら、こいつと夢見てもいいかな、と。
そして正式に彼とコンビを組むことになり、芸人の道を歩み始めました。
そんな僕たちが一番大事にしているライブが山崎モータースさん主催のこの「モータースライブ」です。
毎月ほとんどの芸人がより上のライブ目指して勝負ネタを賭けて切磋琢磨しています。
僕たちは正直いい結果を残せていません。
しかし、僕はそういった本気の芸人達の中で森山君とネタを出来ることが楽しくてたまりません。
出会った頃とまるで姿は変わってしまったけれど森山君は森山君です。
しかし今でも僕は時々、彼を「デカピー」と呼びたくなるのです、きっとその時に見せてくれる彼の表情は僕たちが出会ったあの頃と変わらないでしょう。
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